31Oct

こんにちは。神奈川県藤沢市の不妊整体 不妊鍼灸専門院 ファンクショナルマッサージ治療室です!
今回は妊活の実話の物語(仮名)をご紹介します。
ご本人の了承を頂いてこちらに綴らせていただきます。
第一回 で・き・た!
「ハッちゃん、いるって」
僕が妻マコの顔をのぞき込むと、彼女はこの世の幸せをひとり占めしたかのように笑っていた。逗子駅近くの雑居ビル四階。駅前ロータリーをのぞむお気に入りのカフェ。有線からひっきりなしにかかっていたファンクミュージックはもう耳に入らなかった。
「いるって…お腹の中に」
ハッちゃんというのは受精卵のことだ。胚盤胞という状態になってマコのお腹に戻されていた。
「ついにできたよ」
ついにできた…ついに…。
『待ちに待った』という喜びに『この知らせがもう少し早かったら』という思いが水を差した。
二〇〇六年、二十八歳で結婚。仕事も安定していて、僕、タキグチ ヒロカズも以前は純粋に子供を望んでいた。
結婚してすぐ借りた海岸ちかくの一軒家。親戚の持ち物なので破格の家賃だ。
ふたりして、子供をそだてるにはサイコーの環境だなんて笑っていた。海岸に連れてって遊ばせればいいんだから、金もかかんないし…なんて。
ところが、待てど暮らせど子供はできない。
ベトナムでエビの養殖をやっているマコの叔父さんが、「結婚して二、三年して子供ができないようだったら医者に見せたほうがいいと思うよ。エビもさ…」みたいなアドバイスをくれた。エビと一緒にしないでよ…内心思ったりしたが叔父さんが正しかったのかもしれない。僕もマコも三十をこえたばかりでまだノンビリとかまえていた。
そのうち、僕の副業が金になりはじめた。
ライター業だ。
Webや雑誌の記事、イベントの構成台本からマンガの原作まで…片っ端から引きうけていたらこれが評判がいい。
僕は学生時代に劇団をやっていた。卒後はカタギに落ち着いたが、カタギになりきれないかつての仲間たちが出版業界なんかに入ってエラくなりはじめていた。
友人はありがたい。仕事は途切れることがなかった。休日は海岸の端っこにあるカフェでマックブックを開くのが定番だった。いっぱしノマド気取りだったと思う。
車は持たなかった。家賃も安い。共働きで仕事も安定している。子供は…いない。二人これといった趣味も持たなかったからお金も貯まった。
すると、欲が出てしまう。
…ライター業だけでもやっていけるのではないか?
当時、物書きとしての僕のギャラの上昇はそれだけの説得力があった。
今は兼業ライターだから生活していけるだけの収入はないが、専業になってバリバリ仕事を引きうければ四十歳までにリアルノマドも夢じゃないだろう。
思い切って独立したのが三十五歳。
子供はなかばあきらめていた。このときにもう子供がいたらサラリーマンをやめるなんて想像もしなかっただろう。
しかし、専業ライター三年目…で・き・た!
ついに妻に子供ができたのだ!
このうれしい計算外は経済的な計算外とセットになっていた。
タキグチ ヒロカズ、三十七歳、モノ書きで家族三人を支えられる収入は…いまだない。
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